僕が子どもたちへの声かけにおいて大切にしていること【子育て】息子4歳・娘2歳

僕が子どもたちへの声かけにおいて大切にしていること【子育て】息子4歳・娘2歳
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 改めてまして4歳の息子と2歳の娘をもつ二児の父・当ブログ管理人じゅんやです。今回は子育てを始めてから…というよりは子どもが生まれる前から、子どもたちへの声かけにおいて「これだけは大切にしよう」と心に決めていることをお話ししたいと思います(^-^)

声かけで大切にしていること

僕が声かけで大切にしようと思っていること、それは「楽しい」という言葉を出来るだけ多く使うようにしています。例えば遊んでいる子どもたちに「楽しいね」とか、何かイベントや行事がある前には「楽しそうだね」と声をかけます。

そこには「自分(子ども自身)のことを大好きな子に育ててあげたい」という想い・・端的に言えば「自分に自信がある子になって欲しい」という想いがあります。というのも僕自身が子どもの頃、自分に自信がなく強い劣等感を持っていたからです。

自分自身の幼少期の劣等感

僕の母いわく僕は小さい頃は体が弱くて割とすぐに体調を崩す子どもだったそうで、母はそんな僕に「丈夫な体になって欲しい」と思いからサッカーをさせました。しかし元々体が大きい方ではなかったこともあり、うまく出来ない・周りと比べられる・コーチから注意される・・という事を繰り返して次第に大きな苦手意識を持ってしまい、サッカーに限らず他のことにも劣等感を抱えてしまいました。

「自分は周りの友達と比べて劣っている」そう思ってしまえば、スポーツはもちろん何をするにも100%楽しむことは出来ません。何をしても心のどこかで他人と自分を比べてしまっていたように思います。高校生ぐらいになると体も人並みに大きくなり丈夫になったので、今となってはスポーツをさせてくれた母には感謝していますが、やはり20代後半ぐらいまで心のどこかに劣等感を抱え続けていたと思います。

自分を教訓にした息子への声かけ

これは今の僕の持論ですが「優れていようが劣っていようが、楽しめていれば人生勝ち組」だと思っています。本来幸せは他人と比べるものではないのです。自分自身が楽しい(幸せ)ならば、生きていく上でこれ以上のことはないと思います。

現在息子は運動(サッカー・水泳)と音楽(ピアノ)の習いごとをしていますが、常々「楽しんで頑張ってね」と声かけをしています。これは「頑張る・出来る」よりもまず「楽しむ」ことを忘れないで欲しいという想いです。どんなに強制して上達したとしても本人が楽しんでいなければいずれは嫌になってしまいますし、逆に本人が楽しんでさえいれば最初は上手くなくてもだんだんと出来るようになっていくでしょう。好きこそ物の上手なれ、だと思います。

事実、僕の言葉が響いているのかはわかりませんが、息子は習い事に限らず幼稚園や家での生活も基本的に楽しそうにやります。そしてそのどれもが少しずつではありますが上達してきています。これは僕が一番望んでいた姿なので、楽しそうな息子を見ているととても幸せな気持ちになります。たまに悪ふざけが過ぎる時もありますが(笑)、嫌々やるようは全然いいと思っています。

子どもたちにとって幸せな人生に

もちろんいずれは楽しいだけでは出来ないことも沢山出てきます。仕事や勉強をはじめ人生は例え楽しくなくてもやらなければならない時も多々あります。でもそんな時でも「どうすれば楽しくなるか?」を考えながら出来る人間であれば、僕はその人の人生はとても幸せなものだと思います。

このご時世、まして現在のコロナ禍においてなど自分ではどうしようもない状況であっても、楽しむ気持ちを忘れないで欲しい・・子どもたちに「楽しんでね」と声かけをするのには、そんな願いも込めています。僕たち親が子どもたちにしてあげられることは、そんな些細な事でいいのではないでしょうか。

子育てをする全ての人に送りたい詩

最後に僕が仕事と育児で疲れていた時に、ふと読んで感動した詩をご紹介します。

ママの毎日

独身の頃 ヒールの靴が好きだった
お酒は苦手だったけれど友達と過ごすお酒の場の楽しい雰囲気が好きだった
好きな音楽はミスチルでいつもウォークマンに入れて好きな時に聴いていた
電車の中でゆっくり本を読むのも好きだった
お風呂では半身浴をして
美容院には2ヶ月に1回は必ず行っていた
お化粧するのも好きだった
1人で行く映画館が好きだった

流行りの雑誌を買い
流行りの曲を聴き
流行りの服を着て
流行りの場所へ好きな時に出かけた。

そんな私は 今
泥だらけのスニーカーを履き
子どもたちの着替えやオムツが入った大きなバックを肩にかけ
ちゃんとした化粧もせずに
髪を一つにくくり
毎日子どもたちの手を繋いで公園へ散歩に行っている。

聴く曲はミスチルからアンパンマンマーチに変わった。
眺めているのはファッション雑誌から
子どもの母子手帳や幼稚園からの手紙に変わった。

考えていることは
今日の夕飯のメニューと
長女が幼稚園から帰ってきたあとのおやつ、お風呂、夕飯の流れの確認。
今日の天気で洗濯物が乾くかどうかと
明日の長女の遠足が晴れるかどうか。
最近眠くなると激しくぐずる長男を昨日つい怒ってしまったから
今日は早く寝かせてあげよう。
今日は怒らないでおやすみをしよう。
そんなこと。

毎日 押し流されるように迫ってくる日常があるから
キレイに片付いた部屋も
大の字で朝まで眠れる夜も
ゆっくり塗れるマスカラも
なんだかもう思い出せない。

そう。
思い出せないから
私たちは つい 忘れてしまうのだ。
この毎日が
ずっと続かないということを。

1人でゆっくりお風呂に入れるようになったら
湯船の中 あなたと向き合い数を数え
柔らかく響いたあなたの声を
私は思い出すのでしょう

1人で好きなだけ寝返りをうち眠れるようになったら
どこまで寝転がっても隣にいないあなたのぬくもりを
私は探すのでしょう

好きな音楽のCDを好きなだけかけられるようになったら
この部屋の中に溢れていたあなたの笑い声を思い出して
私は泣くのでしょう

好きなだけお化粧に時間をかけられるようになったら
私の洋服をひっぱり
膝の上によじ登り
私のやることなすことをお邪魔してくるあなたのその小さな手を思い出して
私は泣くのでしょう

好きなだけヒールが履けるようになったら
笑い転げるあなたを追いかけて走り回り
泥だらけになって遊んだあの空を思い出して
私は泣くのでしょう

自分とパパの洗濯物だけを回す日々が訪れたら
砂まみれの靴下も
おしっこを失敗したズボンも
牛乳をひっくり返したシャツも
洗濯カゴにないことを知って
私は泣くのでしょう

あなたの足音がしない部屋の掃除機をかける日が訪れたら
粉々になったビスケットの食べこぼしも
小さなおもちゃの部品も
あなたの細い柔らかい髪の毛も落ちていないことを知り
私は泣くのでしょう

1人で好きなことを
好きな時に
好きなだけ出来るようになったら
どんな時も「ママ」「ママ」と私を呼び
どんな時も私のことを探しているあなたの姿を思い出して
私は泣くのでしょう

一体いつまであるのかな
一体 いつまでここにいてくれるのかな

そして
そんなことを考えているうちに
また 今日も終わってしまった。

私たちの日常は「子どもが側にいる『今』」だから
子どもから離れて1人になれた瞬間が特別に感じて
好きなことを堪能できる喜びを噛み締めるけれど
でも 自分の人生を考えてみたら
特別なのは
本当は 子どもが側に生きているこの毎日の方。

でも 私たちはそれを忘れてしまう。
なんだか ずっと続くような錯覚を起こして毎日を過ごしているけれど
大変に思えるこの毎日に
数えきれない 愛しい が散りばめられていることを
私たちは いつか知るのです。

子どもたちが
この世に生まれてから今日まで
ママとパパのために
全身を力いっぱい使って思い出を撒き散らしてくれていたことに
私たちは 過ぎてから気付くのです。

ママの毎日は
ママでいられる毎日です。

私たちは この命が尽きるまで
どんなに子どもと離れていても子どもを思い、心配し、
愛し続ける 子どもたちの母親だけれど
でも 子どもたちの側で『ママ』でいられることの出来る日の
なんて短いことかを
いつか思い知るのでしょう。

今日もあなたは
屈託のない笑顔で振り向き
「ママ!」と言って
両手を広げて こちらに飛び込んでくる。

忘れるものか。
絶対に。
絶対に。

あなたの前髪を切り過ぎて笑った昨日を。
あなたを怒って自分に涙が出た今日を。
あなたの寝相に笑った夜を。
あなたが摘んでくれたシロツメクサの白さを。

あなたに許された私を。
あなたがいてくれるこの毎日を。
私は 絶対に忘れない。

ミスチルも好きだけど
Eテレの歌に感動することを知った
ヒールも好きだけど
スニーカーの安心感が好きになった

自分のことが一番大切だった
そんな私に
自分の命よりも大切だと思える存在がこの世にはあると教えてくれた子どもたちに
心から 感謝を。

「ママの毎日」より引用(LICOさんブログ)
https://licomama-kosodate.com/entry-12140029379

 

おそらく子育て世代のママさんには有名な詩なのだと思いますが、男性の育児参加が積極的になった現代ではパパでも共感を覚える詩ではないでしょうか。子どもにイライラしてしまった時、育児に疲れた時、途方もなく長い道のりだと感じた時・・・ぜひ子育てをする全ての人に読んで頂きたい詩でした。

子どもたちとの時間は無限ではなく、特に僕のように仕事をしている親にとっては本当に限られたもので、子どもたちにしてあげられることもそう多くはありません。だからこそ「こう育ってくれたら嬉しい」という大切な部分だけは伝えたいと思いますし、それで彼らが幸せになってくれたら親としてこれ以上幸せな事はありません。

今日も力いっぱい思い出をまき散らしてくれる子どもたちに、心から感謝を(^-^)

 

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